ふりかえり

日々の出来事と観点別ふりかえり

平成28年6月21日(水)

算数の単元ベースについて

 

参加できたのは短い時間であったが、やっぱり来てよかったと感じる。

作家を始めたのは、算数のワークショップをするためということを今一度自分自身で押さえたい。

FBで謎だったナオトの単元ベースについて聞くことができた。

以前、信頼ベースで知って行っていた進度表を配布して行う方法と似ている。

しかし、個人で進度が違う。

また、不勉強であったが、佐藤さんの学び合い(学びの共同体)と西川さんの『学び合い』の違いが少しだけ分かる。

また、日曜日の「教室の未来をかんがえる会」の大野さんの算数の授業 VTRがMWのステップとして有効だとも考えている。

ライティングでのミニレッスンはいつか使えるようになればいいくらい の位置付けらしいが、算数ではその時間、その単元に必要なミニレッスンというイメージである。

MWのミニレッスンというのはどういうものなのだろうか。

 

ナオト、翔さんの授業から

①単元の制限を設けないとみんなでやってる感がない

単元の終わりで特殊化と一般化

単元ベース

最低限の押さえどころ

進度表(教科書)を配布して

ゆるくなってくるから 規定問題の丸つけは教師がする。

差ができてやばい

 

②みんなに教えてもらってるだけ、習熟してない子

そういう子が自分でやろうと思わない限り変わらない。

「やればできるんだあ」という感覚を持てれば粘れる

 

一番できない子の集団をどうするか

できる子の集団をさらにどうもっていくか、そこのリソースをどうもっていくか

 

③100%わたし切れればアクティブラーニングなのか

6割くらい渡すくらい

どの時間でも任せる時間を

④発展的な課題をどうするか

本質的な問いに迫るような課題を

 

たった一つを変えるだけのやり方で

やるのはいいんじゃないか

 

 

平成28年6月7日(火)

6月4日(土)は学校公開。帝京大学の学生70人がスポーツテストの手伝い込みで学校公開見学にきていて、保護者、学生、地域の方と多くの方が教室を訪れた。

学生のなかには作家の時間に興味を示した子もいて、せんせいが考えたのですか?などと聞くので、作家の時間の本を見せたりしました。

 

2日あけて今日は、なんとゴリさん率いる教職大学院の皆様が学校見学に来ました。ただ、通り過ぎるくらいかなと思っていたけど、なんとゴリさんは中休みに挨拶に来てくれ、作家の時間でノートの右側の使い方ができていない、どうすればよいかと問うと、

「児童のノートを使って公開カンファランスのロールプレイをするといいよ。」と教えてくれた。さっそく中休みに三好さんのノートの拡大を印刷し、三好さんに協力を得る。

4時間目の作家の時間では、ゴリさんの見ている前でのミニレッスン、緊張しました。その後は、ひたすら書く、しゃべるの時間になり子どもたちの友達との関わりがぐっと高まったことを感じました。

そのあとの共有の時間で、作家の椅子で読む時間についてもその場でフィードバック。もっと、椅子を特別感を出して、初めは先生の読み聞かせにしてもよい。作家の椅子に座ることをもっと嬉し体験に。と。

給食準備中にも子どもたちと話をしてくれ、ファンレター書くよと子供達に言ってくれたり。

自分が取り組んでいるものをその実践の先駆者に見てもらえること、また自分のクラスの雰囲気を感じ取ってもらえること、なんて幸せでシビアなのだと感じた。

 

5時間目は、ゴリさんや学生に変わり巡回指導の先生が来た。

1日に何度も、それも学校公開から引き続きというのは疲れた。
放課後の巡回指導のフィードバックでは、とてもしんどい子が多く日常生活、簡単な学習活動でも精一杯な能力の子がけっこういるとのこと、特別な教科の補習より友達との関わり毎日を楽しくすごすことでなんとかつないでほしいという状況らしい、

私にできるのは、保護者に彼らの辛さを伝えていくこと、来年に引き継ぐこと。毎日を楽しく生きさせること、とのこと。教科の補習よりもご褒美タイム的な補習の時間をとのこと。

 

作家の時間、理解不能なゲームの絵ばかり描いているたかちゃん、ゴリのアイデアでロールプレイをしたあととなりの江藤くんがいろいろその絵につっこみを入れてくれた。そのあと完璧な文章には繋がらないもののとりつかれたように作家ノートを書き始めた。
給食時間も、掃除の時間もとまらない、
コミュニケーションに課題のある彼は、一生懸命かいているそばでさわがれ、友達をけってしまうというできごとも起きた。
黒板の字をうつすのも精一杯なまいかさん、ゆうまくん、二人もかいている、
まいかちゃんは、ゴリに「わたし餃子の皮のピザの作り方しっているよ」と話しかけた。ゴリは「こんどそのレシピを作家の時間で書いておくってよ。ぼくファンレター書くよ」と
書きたい、だから学びたい、という意欲、
意欲が湧くから学ぼうとする、作家の時間はなぜ書きたくなるのだろう

 

 

 

平成28年5月29日(日)

今日は息子の21歳の誕生日、しかし本人もいないし朝から仕事してました。仕事の合間に多少雑談。
そんな中から気づいたことを

研究授業の世話人になって

研究授業は提案をするもの
自分たちで子どもたちの力を伸ばすために、どのような仮説を立て、どんな手立てをしたか、を提案するものだと考えます。
得てして、授業をするとなると完璧なものを出さなければと思いがちになるし、その授業いかんでいろいろなことが判断されてしまうのではないかと思ってしまうことが多いと思います。
正直明日、管理職の授業観察を控えてとても焦っている。そんな自分になにも言えることなんてないのですが。
しかし研究授業は違う、気がします。
自分たちがこうではないか、だからこうしてみた、で、どうでしょう?と集まった人に尋ねてみて、
見た人が感じたことを、もっとこうしたらよいのに、とか、ちょっと理解できない、とか、いろいろ感じたらよいのだと思うのです。
もちろん、素晴らしい提案!、やってみたい!、その通りだ!と思われたらうれしいし、実際に子どもたちに力がついていることを他者に評価されたらうれしい。
それにそれまで、あーでもないこーでもないとみんなで知恵を出し合って考えるのももちん大事。
その時出たことが、すぐには役に立たなくてもそのうち天から降りてきたように自分に還元されることって多いです。

授業をする人に言いたい。一生懸命語り考え合うことは大事。でもその授業だけが全てではない。
授業者の責任を感じると思うけど、
あくまでみんなで考え納得した提案を出し、それをまたみんなで叩き台にして語り合う場。そんな協議会を目指したい。
偉い人の、なんか文句あったら言ってみろ的な授業を見て、みんなでダンマリなんて協議会より、じぶんだったらこうするよとか、もっとこうするといいんじゃない、ここはよくわかったよ、なんて自分のことのように考えてもらえる協議会でいいんじゃないかと思います。

研究の提案をするにあたって、一生懸命みんなで考えてきた提案を伝えます。でも、これで完璧だろ、文句無いだろう、みたいな協議会にしたくないんです。
だから授業者の人、楽しんでやってください。あくまでも、その日、みんなで考えてきたことを表現してくれている人なわけですから。大丈夫です。



平成28年5月25日(水)

今日も作家の時間。
とにかく書く。むちゅうで書く。

一人、たかちゃんはなにやら図?絵を描き続けていた。
「それを文章にしてこっちのページに書いたらいいんじゃない?」
「うんそうか」でもなかなか図から離れられない。

これが1時間の中で決まった学習をさせないといけないと捉えていたころだったらどうなのだろう。
たかちゃんの今のプロセスを見守ることができなかったかもしれないと思う。

一方で、読み書き障害があると思われる伊達くん、全体的に落ちている感じのまいかちゃん、
この子達も作家の時間は結構それなりに書いている。
でも清書のときに結構手をいれないと他の児童と比べた場合ヤバイなと思ったりする、
伊達くんが、書こうという意欲を出して書いていること自体が奇跡なのだが。

美容院に行き、そこで作家の時間の本を少し読む。
自分たちはこのような本をかこうとしているんだということ、実際には作家をし始めたことが繋がり、
だんだんと現実味をかんじることができるようになってきている。
まだまだだけど、数学者の時間で私はどんなふうに変わるのだろう。

もうすぐ6月、このある程度好きにできる環境ともあと10ヶ月。いつまでもつづくわけじゃないんだ 。
改めて1日1日を大切にしたい。

平成28年5月24日(火)

中川さんの振り返り書簡の無料コンテンツから

振り返りを始める前に以下のようなことを書き出して整理する。 ・ クラスの状況(担当学年、クラス人数、男女比、他の教員クラスへの関わり方、など) ・ どのようなことを学ぶことのできる教室にしたいと思ってきたか。 ・ その上で、どのような取り組みをし、環境をつくってきたか ・ 現在感じている「課題」を書き出してみる

このようなことをまず確認してから始めるとたしかに良さそうだ、

時間を作ってぜひ行いたい。

最近、子供達は作家の時間が大好きだ、「今日は作家はあるの?」「空いている時間に書いていい?」
と聞いてくるようになってきている。

しかし、教科書単元をやらないわけにもいかず、昨日から「かんさつ名人になろう」という観察記録文を書く学習をしている。
今日は、昨日取材メモをしてきた自分が育てている野菜の苗について、観察の技ごとに下書きをしその紙を切り順序を変えたり校正し清書するというところをやった、個人差があるので、清書にとりかかった子は数名。
本当は3時間目だけの活動だったが、もっと書いてたい、今は止められないということで4時間目もゾ続行することにした、
それぞれが時間を忘れて取り組み、給食の前にはみんなの右手の小指側が鉛筆の芯で真っ黒になった。
とても時間が短く感じて、気がついたら手が汚れていたという。
正直とても嬉しかった。
こういう時に出会いたいという気持ちはやっぱりある。

数学者でもこんな時間を作りたい、まだ、問題をたくさん解いているという高揚感だけだけれど

そして初任者指導、彼女を見ていると自分も初任のころこうだったのかなと思うこともある、
やっぱりフォローに徹して物言わず、去る者拒まずでいくしかないのだろうか、

平成28年5月19日(木)

印象に残った出来事

①山代くんが廊下で飼っているアゲハの幼虫を見て、「ねえ、これで何が勉強できるの?」
「そうだなあ、まあ生活科で観察、国語なら観察記録文を書いたり、算数なら葉っぱをどのくらい食べるから蝶になるまでに何枚食べるか、とかかな。」
「じゃあ体育だけは勉強できないか。」
「そうだねえ、体育ならアオムシを真似して鉄棒にぶら下がるとか。。」
その時のワクワクした山代くんの顔が忘れられない、その後一人でアオムシが葉っぱを食べるスピードやらなにやら考え始めた模様。
「数学者っぽいね」というと嬉しそうだった。

②作家の時間はとうとう実際にノートに書くところに入る。
 すぐには書き始められない子を見たときに、スタックしているのもいいとほおって置けるようになったこと、自分から引っ込み思案な木村さんが気の合う三好さんに何かを聞きにいったこと、作家の椅子に座って今日書いたことを発表した大塚さんにきたファンレター、それを読む大塚さんの嬉しそうな顔、いつも楽しそうな彼女だが今まで見たことのないような顔をしていた。

教室は、その時間だけどうにかすればどうにかなるものでもなく、毎日のいろんな時間が絡み合って重なり合って、出来上がっていくんだなと思う。
間違いなく彼らの生活の場で、安心してエラーできる場所であってほしい。安心してトライできる場所であってほしい。

平成28年5月18日(水)

家庭訪問週間

①お母さん、お父さんたちに伝えていること

トライアンドエラー、エラーの大切さ
速さではなく、立ち止まって一生懸命考えていることの大切さ
ありのままのその子を認めてほしい
できないところ、苦手なところにフォーカスせず、得意なこと、好きなことに水をたっぷりあげて伸ばしていきたいし、そうしていってほしいこと
クラスでは
お互いが安心できる教室を作って、安心していろんなことに挑戦できる環境を作りたいこと


②4年生(以前担任していた学年)の先生と

2;6;2の法則
クラスを揺らすその子は無視してはいけないけど
その他の8(6+2)を大切に
みんな見て欲しがっている、今落ち着いている子も、一人一人ががんばっている
2にふりまわされない

③今日は学芸大学の大学院に派遣で行っている佐藤先生の出勤日
「今はこんな課題をしているんだ、本を読んでだれかに紹介する形で書くというレポートをやらなきゃいけないんだ。」と。
それは、まさに「数学者の時間をだれかに紹介するってあれだ!」と
いろいろ話していたら、大学院の先生は「もと埼玉のカリスマ先生」という。よく聞くとやはり岩瀬先生のことでした。
佐藤先生が4月から大学院で学ばれてきたことと、自分がこれまで信頼ベースや西多摩、ラフトで知ったことが重なって、お互いが「おおおお!」と。
佐藤先生がレジメを見せて授業の内容を教えくれ、わたしがそうそう!と振り返るという
そこに今年度から振り返りジャーナルをやってきたたむら先生とあめちゃんが入り、岩瀬先生の話をした。校内でそんな話になるなんて、
オープンクエスチョン、第4階層の話、学級のファシリテーション、リフレクション、教師教育、いろんな言葉が職員室で!
そのことが不思議で、嬉しくて、
この環境を日々を大切にしていきたい。