ふりかえり

日々の出来事と観点別ふりかえり

平成28年5月29日(日)

今日は息子の21歳の誕生日、しかし本人もいないし朝から仕事してました。仕事の合間に多少雑談。
そんな中から気づいたことを

研究授業の世話人になって

研究授業は提案をするもの
自分たちで子どもたちの力を伸ばすために、どのような仮説を立て、どんな手立てをしたか、を提案するものだと考えます。
得てして、授業をするとなると完璧なものを出さなければと思いがちになるし、その授業いかんでいろいろなことが判断されてしまうのではないかと思ってしまうことが多いと思います。
正直明日、管理職の授業観察を控えてとても焦っている。そんな自分になにも言えることなんてないのですが。
しかし研究授業は違う、気がします。
自分たちがこうではないか、だからこうしてみた、で、どうでしょう?と集まった人に尋ねてみて、
見た人が感じたことを、もっとこうしたらよいのに、とか、ちょっと理解できない、とか、いろいろ感じたらよいのだと思うのです。
もちろん、素晴らしい提案!、やってみたい!、その通りだ!と思われたらうれしいし、実際に子どもたちに力がついていることを他者に評価されたらうれしい。
それにそれまで、あーでもないこーでもないとみんなで知恵を出し合って考えるのももちん大事。
その時出たことが、すぐには役に立たなくてもそのうち天から降りてきたように自分に還元されることって多いです。

授業をする人に言いたい。一生懸命語り考え合うことは大事。でもその授業だけが全てではない。
授業者の責任を感じると思うけど、
あくまでみんなで考え納得した提案を出し、それをまたみんなで叩き台にして語り合う場。そんな協議会を目指したい。
偉い人の、なんか文句あったら言ってみろ的な授業を見て、みんなでダンマリなんて協議会より、じぶんだったらこうするよとか、もっとこうするといいんじゃない、ここはよくわかったよ、なんて自分のことのように考えてもらえる協議会でいいんじゃないかと思います。

研究の提案をするにあたって、一生懸命みんなで考えてきた提案を伝えます。でも、これで完璧だろ、文句無いだろう、みたいな協議会にしたくないんです。
だから授業者の人、楽しんでやってください。あくまでも、その日、みんなで考えてきたことを表現してくれている人なわけですから。大丈夫です。